芸術家と接するとき芸術家ではない者はどうすればいいのか

全ての芸術家に対して言うことことではないが、あっちの世界の人たちは結構変だ。
きっと3人に2人は普遍的な価値観を見いだせずに、天寿を全うするとして40歳くらいまでは生きにくい人生を送るんだろうなと、勝手に想像している。
40歳以降は、片方は最低限の普通を身に着けようとするもうまくいかずに、そしてもう片方は普通を意にも介せずだがうまくもいかず、そんな人生を送るんだろうなと自分の人生のこれから先を見通す能力を備えるに至るわけだ。
男は30歳まで「あるもの」を守ることで魔法使いになるというフォークロアが日本には存在するが、それと似たような説だろうか。
残った1人はそもそも芸術家ではなく、芸術家きどりの何者かだ。
最近紹介された芸術家
ナカシマさんという芸術家を紹介された。
彼が2人のうちに入るのか、それとも残りの1人なのか、それはこれから接する時間の中で知ることができるかもしれないという楽しみに置いておくとして。
自分のアトリエを持ってしまっているが故に、飯田橋の職場まで神奈川の辻堂から通勤しているというバラモスかムドー並の強者だ。
ナカシマさんには10年も付き合っている彼女がいるという噂を聞いたことがあるので、そっち系の魔法使いではないとは思うが、ルーラでも使えんのかと思えてしまうような逸材である。
そしてゾーマもしくはデスタムーアにあたるのが、彼の雇い主であるナカジマさんだ。ナカジマさんにナカシマさんを紹介されたのだ。
おーい磯野
サザエさんシンドロームをもう何年にも渡り日本に浸透させているあのテレビアニメに、坊主頭のヤンチャな小学生が存在する。
捉え方にもよるが、彼は芸術家肌な気がする、と言われると「確かにそんな気がする」と思う人も多いのではないだろうか。
物事の捉え方と考え方、そしてなによりもそれらを現実にしようとする行動力が、彼には備わっている。四文字熟語で言うところの有言実行だ。
そんな有言実行のとばっちりをよく喰っているのが、彼の親友であるナカジマくんだ。
ナカジマさんに「次に雇うのは磯野って名前の人がいいですね。」と言ってやった。
どうすればいいのか
ナカシマさんをナカジマさんに紹介されたときの、紹介のされかたが「彼は芸術家なんですよ。」だった。
中学1年の4月の時点で自分の想像力が余りにも豊過ぎることを自覚していた者にとっても、「彼は芸術家なんですよ。」と紹介されようものなら、「…で?」と思うのが精一杯ではなかろうか。
立派に蓄えた口ひげ、そして丸メガネ。「確かに芸術家らしいですね。」と返すので改めて精一杯だった。「考えるヒト」になれ、と試されているのかとすら思った。あの彫刻のように「一生涯考え続けろ」ということかと。
後日、ナカジマさんから「ナカシマさんはかなり特殊」と聞かされることになるのだが、それはまた別のお話。
才能と異なる可能性
この世に生きとし生けるもの、芸術家か否か、どちらかである。
そんなことを歴史の中でこれから誰かが言うかもしれないし、既に似たようなことを言った偉人がいるかもしれない。
この仮説を現実とした場合、自分は芸術家ではない片方にあたる。小学校6年間の間で、5年生時を除いて図工の作品がクラスの優秀的な扱いを受けた。
4年生時は覚醒していたと言っても過言ではない。宮澤賢治の「銀河鉄道の夜」をテーマに書いた絵、そして空き缶と紙粘土を使って動物を作るというテーマで作ったのはペガサス。どちらも、色使いが他の生徒とは完全に違った。
思えば、小学生の頃の授業は中学高校のそれと比べると自由な面が多かったように思う。図画や図工ともなれば、更に自由だ。
自由であることが、他の生徒との違いを生んだ。その違いを「才能」や「異なる可能性」として小学生当時の先生たちは捉えてくれていたのだと、今になって考えてみたくなるってもんだ。
そしてそんな才能と異なる可能性を、今ナカシマさんに投影し始めている自分がいる。
少し前に、自分ともナカシマさんとも違う、才能と異なる可能性を持った人がいた。が、袂を分かつこととなった。そしてそれもまた、別のお話。
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